未来はあまりに遠いし、おれはもう待てない

SF小説やプログラミングの話題を中心とするフジ・ナカハラのブログ

ゲンロン 大森望 SF創作講座に申し込んだ

ゲンロン 大森望 SF創作講座 に申し込んだ。 いや、申し込んだのはフジ・ナカハラと名乗る私ではない。 申し込んだのは、フジ・ナカハラとなる以前のわたしである。 私は、SF創作講座に申し込んだことによりフジ・ナカハラになった。

フジ・ナカハラはペンネームである。 SF創作講座の申し込みにペンネームと活動歴が必要だった。 フジ・ナカハラはその時に生まれた。 当然、活動歴はない。 いうなれば、この記事が私の初めての執筆活動ということになるだろう。

この記事では、自己紹介がてら、わたしがどのようにしてSF創作講座へ申し込むに至ったかについて書く。 なぜSF創作講座に申し込んだかではなく、どのようにしてSF創作講座へ申し込むに至ったかである。 なぜSF創作講座に申し込んだかというと、もちろんSF作家になりたいからだ。

わたしは、小学生の頃から小説家になりたかった。 当時のわたしはいわゆる本の虫で、『ハリー・ポッター』や『サークル・オブ・マジック』といった海外のファンタジー小説を好んで読んでいた。 特に、ラルフ・イーザウという作家がお気に入りだった。 彼のような小説を書こうと、何作もの大長編を構想したが、結局1つも完結することはなかった。 それでも、あの頃は本気で小説家になりたいと思っていた。

しかし、年齢が上がるにつれ、あまり本を読まなくなった。 ファンタジー小説を読むような年齢ではないと思って、背伸びして純文学や流行りのミステリなんかを読んでいた。 ただ、そうしたジャンルはわたしには合わず、しだいに本を読むペースは落ちた。 小説も書くには書いていたが、ひっそりと書くようになった。 高校生の頃に一度だけ短編の純文学系新人賞にも応募したが、あえなく落選した。 そして、受験勉強が始まると、ほとんど読むことも書くこともなくなってしまった。

SFとの出会いは大学時代である。 講義で紹介されて手に取ったジョージ・オーウェル1984年』に衝撃を受けた。 50年以上前に書かれた冷戦時の記念碑的作品ということで、お堅く古臭い作品なのだろうと覚悟していたら、これがどういうわけかとんでもなく面白かったのである! これをきっかけに海外SF御三家やレイ・ブラッドベリフィリップ・K・ディックあたりを読み始め、ずぶずぶとSF沼にハマっていった。

しかし、SF小説を書くことはできなかった。 かつては書きたいものがたくさんあって、何も意識せずとも書けていたのだが、それができなくなっていた。 今思えば、書くのが怖かったのだと思う。 きちんと小説を書くには、かなりの時間とエネルギーが必要である。 それだけのものを費やして、もし書いたものがつまらなかったら、もし自分に才能がないことを突きつけられたらと思うと、怖くて仕方がなかったのだ。 書かなければ何も始まらないというのに。

そして、SF小説を書かないまま、周りに流されるまま、会社員として就職した。 ただ、小説家になりたいという夢は諦めきれていなかった。 日が経つにつれ、今の仕事はわたしのやりたいこと、やるべきことではないという思いが強くなり、わたしは仕事に真正面から向き合えなくなっていった。 しかし、学生の頃と違って会社員には時間がなく、小説を書かねばと思ってはいてもなかなか手をつけらない。 このままではダメだという焦りだけが、ただただ膨らんでいった。 そんな時に、ゲンロン 大森望 SF創作講座の存在を知った。

わたしは今回のSF創作講座を小説家になる最後のチャレンジにするつもりである。 この一年はSF小説を書くことに費やして(もちろん働きながらではあるが)、それでもチャンスがなければ職業SF作家になるのはさっぱり諦める。 これは、決意表明であるとともに、一年後のわたし自身への戒めでもある。 少し大げさに書いたが、そういう覚悟でわたしは今回のSF創作講座に臨むつもりだ。

以上が、SF創作講座に申し込むに至った経緯である。 こうして私フジ・ナカハラは生まれた。