未来はあまりに遠いし、おれはもう待てない

SF小説やプログラミングの話題を中心とするフジ・ナカハラのブログ

SF創作講座第1回を終えて

昨日、ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期の第1回講評会が開催された。 第1回の課題は、「AIあるいは仮想通貨を題材に短編を書け」である。 これに対し、43編の梗概が提出され、私は『から揚げと Let It Be』というタイトルのものを出した。 この講座では、審査員が提出された梗概の中から3編(今回は例外的に4編)を選出し、選ばれた受講生は次回までに実作を書くことになっている。 今回、残念ながら私の作品は選出されなかった。

課題について

課題は、AIか仮想通貨のどちらをテーマにしても良いというものであった。

仮想通貨に関しては、以前 Satoshi Nakamoto の論文 を読んだり(きちんと理解できたかは怪しい)、Learn Blockchains by Building One という記事にあるブロックチェーンPython実装をRuby (on Rails)に書き換えたりして勉強したことがある。 ブロックチェーンの仕組みや、それがもたらす社会的インパクトは、SF的にも可能性のあるものだと思っている。 しかし、「仮想通貨」となると、今回あまりいいアイデアが思いつかなかったので諦めた。

さて、問題はAIである。 私は、修士課程の学生の頃に一応AIの研究をしていた。 AIと名のつく国際会議に論文を通したこともある。 おそらく比較的AIに詳しい方だろう。 そうした知見から、AIの何を描くべきだろうか?

今回の課題で求められているのは、「2018年現在」の最先端を踏まえることである。 その点からすると、いわゆる「強いAI」の話は今回の課題に適さないと考えた。 現在のAIブームの発端はディープラーニングであるが、これでつくられたAI(正確にはモデル)は、入出力のフォーマットが明確に決まった「弱いAI」である。 強いAIのような汎用的なものは、決して現在のAIブームの延長にはない。 コンピュータ・サイエンスや近隣の分野で何かしらのパラダイムシフトが起きない限り、強いAIの実現は不可能である。

では、現代的な「弱いAI」の延長にあるものは何か。 私は、「自動化」と「最適化」が鍵になると考えている。 「自動化」は、人間の行っている作業を機械が行うことであり、「最適化」は、簡単にいえば無駄をなくすことである。 「弱い」AIといえど、現代のAIは、囲碁や画像の分類などの特定分野に限れば、人間より高い能力を発揮する。 これは、人間の作業をより無駄のない形でAIに置き換えられることを意味し、実際、多くの企業がこれを目指している。 AIが人間を凌駕する分野が今後次々と増えていく、というのは想像に難くない。

では、そうして何もかもが自動化・最適化されていった先に、私たち人間に残るものはなんだろう? そう考えて、これを今回の課題に対する私自身のテーマとした。 アピール文にも書いたが、この辺りの発想はRebuildというPodcastで聞いた話もきっかけになっている。

作品について

設定

「何もかもが自動化・最適化された未来」というのを端的に表現するため、〈黒魔術〉というギミックを設定した。これは、アピール文に書いたように、アーサー・C・クラークの言葉なんかをヒントにしている。

近い内に、AIは抽象化され、環境に溶け込むだろう。 モノのインターネット(Internet of Things / IoT)の普及は、私たちの身の回りのモノがAIを含む巨大なネットワークシステムに接続されることを意味する。 今のところ、私たちはPCやスマホを通してそのシステムを利用しているが、そんなものを介さなくても、より自然な形でそれらを利用できるようになる。 最近のプロダクトで言えば、Google HomeAmazon Echoが比較的イメージに近い。 文字の入力方法や各種アプリの使い方を知らずとも、自然言語を操るだけで、裏側にある複雑で巨大なシステムを利用できる。

〈黒魔術〉は、そんな高度に抽象化・環境化したAIシステムの総称である。 本当にシンギュラリティなるものが来れば、AIはあっという間にブラックボックス化し(現代でもほぼブラックボックスであるが)、「人間わざとは思えない、不思議なもの」を実現するようになるだろう。 〈黒魔術〉という言葉にはそんなイメージもこめている。 先ほど「自然言語を操る」と書いたが、AIを利用するための音声プロトコルが最適化されて〈呪文〉になるということも考えられる。 「アロホモラ」と唱えて鍵が開く、なんてことは、IoTが普及すれば全く不思議な事ではない。

ストーリー

今回、数年ぶりに物語を書くということで、勉強の意味も兼ねて既存の作品の構成を真似ることにした。 その対象に選んだのは、私の好きな作品、小松左京『神への長い道』である。 『神への長い道』の構成はおおよそ次のようになっている。

  1. 未来のよくわからないシーンから突然始まる(起)
  2. 主人公は、未来に期待して冷凍睡眠に入ったのだった(承)
  3. しかし、期待していた未来との違いに主人公は落胆する(転)
  4. 他者との触れ合いの中で、なんとか希望を見い出す(結)

『から揚げとLet It Be』は、ほぼこのストーリーをなぞった。 ただし、『神への長い道』で主人公が明確に「希望」を見出したのと違い、『から揚げとLet It Be』で主人公が最後に見出したのは、果たして本当に希望と呼べるのか分からないものである。 梗概でもそういう描き方をしたかったが、正直これはあまりうまくいった気がしない。

講評について

私の作品に対する審査員の講評は、全員一致で「オリジナリティがない」というものであった。 実際、ストーリーは模倣であり、「冷凍睡眠」なんかはそのまま借りてきた要素である。 〈黒魔術〉についても、「人間の仕事はすべて機械に置き換えられ、人間は仕事をしなくても良くなった」という点だけ見れば、手あかまみれの設定である。 そういう意味で、的を射た指摘だと感じた。

今回、オリジナリティがあるとすれば〈黒魔術〉のディテールであるが、このイメージを伝えようとすると、設定の説明だけで1200字を軽く超えそうだったので、アピール文に「実作で描写に力を入れます」とだけ書くにとどめた。 しかし、どうやらこれが大失敗だったようだ。 SFの梗概で、コアとなるSF的発想の説明をおろそかにしてはいけない。 「実作で書くつもりです」なんてアピールしても誰も興味を持ってはくれないのである。

かといって、〈黒魔術〉をきちんと説明すれば良いものができたのかというと、あまり自信はない。 講評全体を聞いて感じたのは、直感的・反射的に「面白い」と思えるワンアイデアをもった梗概が評価されるということである。 たしかに、グレッグ・イーガンやケン・リュウなんかの短編は強烈なワンアイデアをベースにしている。 星新一は言うまでもない。 その点、〈黒魔術〉はあまりに複合的で抽象的な感じが否めない。

今回は、他に大きく2つの反省点がある。 まず、第一にキャラクターの造形が雑すぎた。 「音楽に人生をかける男性」「料理が大好きな女性」はあまりにステレオタイプであり、現代どころか昭和のにおいすら漂ってくる。 これらの典型的な設定は、少ない説明でもすっと頭に入るという利点もある。 しかし、私が書こうとしてるのはSFなのだ。 あまりに常識に頼った書き方をしていてはダメだろう。

第二に、「描写」が全くといっていいほどできていない。 ここ数年、レポートや論文、コンピュータプログラムばかりを書いてきたので、小説的な文章表現がすっかり分からなくなってしまった。 講座の受付時に「ゲンロンSF創作講座受講者のための基本的実践的小説作法書リスト」なるものが配られたのだが、さっそくそこにあった『感情類語辞典』を購入した。

最後に、「料理のようなものはそう単純に機械に置き換えられない」という指摘があった気がするが、これにはあまり納得していない。 現代の東京で、毎日自分で作った料理を食べているという人がどれほどいるだろう? コンビニや外食を始め、現代の私たちは「調理」をかなりの割合でアウトソースしている。 そして、コンビニに並んでいるものや、ファストフード店で出されたものがどのように調理されたかにはほとんど関心がない。 それが仮に〈黒魔術〉で作られたものであったところで、誰も気にしないだろう。 また、現代東京に生きる私たちは、食べるものに対して驚くほど潔癖である。 たとえば、飲料水に関して、よほどのことがない限り川や池の水を飲むことはない(まあ東京のものは実際飲めないが)。 仮に飲むとしても、科学的に安全であることが保証されたものくらいだろう。 そして、健康管理の面でも、現代はより潔癖な方へと進んでいる。 もしAIが完璧な栄養バランスの献立を無料で用意してくれるとなれば、それに従うという人は少なくないのではないだろうか。 もちろん、『から揚げとLet It Be』で描いたように、栄養補給以外にも、料理にはその行為を純粋に楽しんだり、食事の際にコミュニケーションをとったりといった機能があることを私は知っている。 しかし、AIによる完璧な食事管理により、食べるものに対して潔癖になっていく未来は、それほど想像しがたいものだろうか?

次回について

次回の課題は「スキットがなきゃ意味がない」である。 これだけではよく分からないが、詳細のところに次のように書かれている。

今回のテーマは自由。
ただし、二単位以上の登場人物が最低でも三回以上、魅力的なやり取りをする内容を含んだプロットを提出してください。

次回のポイントは「キャラクター」と「会話」である。 設定から入ってそこに注力しがちなSF作家が苦手とする領域のように感じる。 かくいう私自身、小説的な「キャラクター」と「会話」は全く分かっていない。 さて、何を書こう。