未来はあまりに遠いし、おれはもう待てない

SF小説やプログラミングの話題を中心とするフジ・ナカハラのブログ

SF創作講座第5回を終えて

一昨日、ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 の第5回講評会が開催された。 今回のゲスト講師は、法月綸太郎氏と、講談社の都丸尚史氏だ。

第5回の課題は「来たるべき読者のための「初めてのSF」」というもので、27編の梗概が提出された。 私は『無形の民』というタイトルのものを書いた。 この講座では、審査員が提出された梗概の中から3編(今回は例外的に4編)を選出し、選ばれた受講生は次回までに実作を書くことになっている。 今回、私の作品は選出されなかった。

また、第4回課題「拘束下で書きなさい」で選出された4編と自主提出5編の実作講評も行われ、10点+未提出者14名分の14点の計24点が各作品に割り振られた。 詳細な結果や各作品の内容については、課題ページを参照してほしい。 今回、私は実作を提出していない。

課題について

今回の課題「来たるべき読者のための「初めてのSF」」は、次のようなものである。

まだSFを読んだことのない読者のために、「初めてのSF」を書くこと

ジャンル小説特有のお約束が通用しない白紙の読者を念頭に置いて、もっとこんな小説を読みたいと思わせるような、入門的で吸引力のある新作SFを書いてほしい

この中で私を悩ませたのは、「入門的」という部分である。 「SF」と一口にいっても幅広く、どういったものを「入門的」と呼ぶかは人によって大きく異なる。

そこで、次の一文をヒントにすることにした。

ビギナーだった頃の目が覚めるような気持ちは忘れないでください

提出したアピール文にも書いたが、私の初めて読んだSF小説ジョージ・オーウェル『一九八四年』である。 『一九八四年』に出会うまで、私はSFをくだらないものだと思っていた。 実在しない「科学」のもと、ロボットが人間並みの知性を持ったり、宇宙を自由に駆け巡ったり、時間を簡単に超えていったりするものだと。 科学をこじつけに使ってお茶を濁すくらいなら、はじめからファンタジーだと言い切ったほうがずっと良いと考えていたのである。

しかし、SFはエンタメの一ジャンルとはいえ、娯楽に振り切ったものばかりではない。 『一九八四年』は、全体主義批判をテーマに据えており、実際、世界に大きな影響を与えた。 ディストピアSFなんかは、たいていそういった現実に根ざした問題意識をもとに書かれている。 また、ロボットものや宇宙もの・時間もののSFも、ギミック自体は描こうとしているテーマを効果的に演出するための道具でしかない場合が多い。

私がSFに魅力を感じるのは、私たちの生きる現実がもつ思いもよらない可能性を、物語の強烈な説得力でもって気づかせてくれるところである。 そこで、そんなSFの魅力を読者に少しでも感じてもらえるようなものを書くことを今回の課題の目標にした。

ただ、私の考える「初めてのSF」は、出題者の法月綸太郎氏の意図とは少し違ったらしい。法月氏は端的にいうとジュヴナイルを期待していたようだ。

「初めてのSF」といっても、小中学生向けのジュヴナイルや取っつきやすいショートショートに限りません

とあったので、ジュヴナイルは期待を超えず評価されにくいと考えたのだが、どうやらこれはむしろヒントだったらしい……。

講評について

都丸氏に丸と三角の中間くらいという評価をいただいた。 前半はよかったが、後半にワクワクしなかったとのこと。 講評が始まる直前に、受講生のやまね @yamane233 さんにも、主人公が最後にとった行動のスケールが小さくてもったいないという評をいただいており、同じような印象を抱いた人が多かったんだろうなという感じがした。

実際、今回の梗概はかなり行き当たりばったりで書いていて、最後の二段落を書く直前に筆がパタリと止まってしまっていた。 その時点で書こうとしていたことはだいたい書いていて、そこから物語をどうやって終わらせればいいかわからなくなったのである。 字数もすでにオーバーしていたので、できるだけ短く無理矢理に終わらせにいった感は否めない。 そして、そういったごまかしはやはり読者に見抜かれてしまう。

SF創作講座第4回を終えて

一昨日、ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 の第4回講評会が開催された。 今回のゲスト講師は、円城塔@EnJoeToh と、河出書房新社伊藤靖@itouy だ。

第4回の課題は「拘束下で書きなさい」というもので、31編の梗概が提出された。 私は『interesting_story.nako3』というタイトルのものを書いた。 この講座では、審査員が提出された梗概の中から3編を選出し、選ばれた受講生は次回までに実作を書くことになっている。 今回、私の作品は選出されなかった(後で書くが、選出される気もなかった)。

また、第3回課題「生き物をつくってみよう!」で選出された3編と自主提出13編の実作講評も行われ、10点+未提出者14名分の14点の計24点が各作品に割り振られた。 詳細な結果や各作品の内容については、課題ページを参照してほしい。 今回、私は実作を提出していない。

課題について

あらかじめルールを決めて書け、というのが今回の課題である。 具体例として、次のようなものが挙げられている。

「ひらがなだけで書く」「カタカナを使わない」「読点を使用しない」「約物を利用しない」「改行しない」といった、文字に関するものでも構いませんし、「書簡体で書く」「手記のように書く」「話しかけるように書く」「擬古文で書く」「方言で書く」「自作言語で書く」といった文体に関するものでも構いませんし「人称代名詞を用いない」「現在形だけで書く」「五七調で書く」「従属節を利用しない」といったものでも構いません。「一行の文字数がフィボナッチ数列のように増えていく」とか「文頭の文字を拾っていくと、別の文章になる」であるとか「10文字×10文字の格子をいくつも埋める」、「使える文字の種類が一つずつ減っていく」でも、「風景描写しかせずに人物はでてこない」等、とにかくなんでも構わない

なんでも構わないとはいったものの、『文字渦』1を書いた円城塔氏のことなので、何かしら文章にまつまる厳しい制約が期待されていることは明らかである。

私がこの課題を聞いてすぐに思いついたのは、「プログラムとして実行可能な小説を書く」というものだった。 円城塔氏もプログラマであることを知っていたので2、思いついた瞬間、ウケるだろうなとも思った。

ただ、これは決して簡単ではない。 プログラミング言語は、機械への命令を記述するための言語であって、出来事や感情を記述するようには作られていない。 また、プログラミング言語形式言語であり、自然言語にあるような曖昧性が排除されている。 文章に課す拘束としては、かなり厳しいものだろうと思う。

この拘束は、ネタとして面白いが、小説として面白いものは書けそうにない。 とはいえ、プログラミング言語の上でどのくらい自然な日本語が書けるか試してみたい気持ちもあったので、とりあえず調べてみることにした。

はじめに考えたのは、RSpec のように自然言語っぽく書けるDSLRubyで定義することである。 しかし、これだとRubyの文法からは逃れられない。 スペースや改行が特別な意味を持つ一般的なプログラミング言語は、自然な日本語を書くのに不向きである。

そこで、日本語プログラミング言語に目を向けることにした。 いくつかの候補があったが、私の目を引いたのは「なでしこ3」である。 「。」が文の区切りとして用いられること、比較的自由な位置に「、」が挿入できること、スペースやカンマではなく「と、を、が」といった助詞が区切りのためのキーワードとして用いられていること、ダブルクオートだけでなくカギカッコも文字列リテラルとして使えることなど、プログラムを日本語っぽく書くための工夫が数多く見られた。 何より、AltJSとして実装されており、読者がブラウザですぐに実行結果を確認できる点が気に入った。

なでしこ3を使えば意外と書ける気がしてきたので、今回は実作を諦めてウケ狙いでいくことに決めた。

作品について

なでしこ3で書くことを決めるまでは早かったが、8・9月は忙しかったため、実際に取り組み始めたのは締切3日前の月曜日である。 月曜になでしこ3の文法を勉強し、火曜に日本語でプロットを書き、水曜になでしこ3で書き直し、木曜に見直して提出した。 平日で仕事もあったのであまり時間は取れなかったが、選出を目指しているわけではなかったので気楽にやれた。

プログラムに関しては、なでしこ3を書くのも、自然言語っぽくプログラムを書くのもはじめての試みだったので、限りなくシンプルなものにしようと考えた。 最も単純なプログラムの1つに、"Hello, world"を表示するというものがある。 そこで今回は、何かしらの文字列を表示するだけのプログラムにすることにした。

ストーリーに関しては、「コンピュータに『面白い』と言わせる」というアイデアから、可能な限り短いものをあしらった。 あまり長い話だと、なでしこ3への翻訳に失敗するかもしれなかったからだ。 問題は、SF創作講座なので、SFの物語でなければならないことである。 これは、小説を評価するAIを登場させることでクリア(?)した。

そして、日本語で書いたストーリーをなでしこ3へと翻訳していった。 日本語の文章から一文、なでしこ3エディタにコピーして実行する。 するとエラーが出るので、文章を書き直したり、関数を定義したりしてエラーが出ないようにする。 そうやって繰り返しなでしこ3のエラーを潰していくと、なでしこ3で書かれた物語ができあがる。 一番難しかったのは、「は」が代入のキーワードとして使われているので、その左側に関数の引数区切りのキーワードとなっている助詞を持ってくることができない点である。 翻訳がどう難しいかは、実際に なでしこ3簡易エディタ で任意の日本語を実行して試してみてほしい。

ちなみに、プログラムの目的である「『面白い』と出力させる」は最初の一文で完了している。残りはプログラムとしては意味のない蛇足である。

講評について

案の定、円城塔氏(のみ)の丸をいただくことができた。 「これは丸をつけざるをえない」との評で、まさに狙い通りである。 大森さんにも「問題作」と紹介いただいた。 今回の作品にとっては褒め言葉だ。

意外なことに、「40枚書けるか」という点も話題に上った。 万が一選出されれば2000字程度のショートショートくらいは書くつもりだったが、40枚はとても書けそうにない。 あまりうまく受け答えできた気がしないが、この作品はこれで完成であるという話をした。

とはいえ、今回は色々と手探りだったので、プログラムとしても物語としても最低ラインを目標に置いていた。 物語としてもっと読みやすく分量のあるもにしたり、プログラムとしてもっと面白いものを仕込んだりと、工夫の余地はまだまだある。 もしまたこういった手法で小説/プログラムを書く機会があれば、そのあたりをチャレンジしてみたい(当面やる気はないが)。

また、小説を書くためのプログラミング言語を作るのはどうかという話もあったが、これはあまりいい方針とは思っていない。 なぜなら、ご都合主義的にプログラミング言語を設計できてしまうからだ。 仮にチューリング完全プログラミング言語をつくったとしても、ふつうの日本語だと構文エラーが起きないような文法にしてしまえば、容易に日本語の文章を書けるだろう。 読者がプログラムの結果を再現するのも難しくなるいう問題もある。

最後に、SF創作講座2期の受講生でゲンロンSF新人賞優秀賞の麦原遼さん @rhgm_hrk にも声をかけていただいたのが嬉しかった。 その際、Quine Relay のように実行すると次の物語が出力され、さらにそれを実行すると次の物語が現れ……、とそれが続くようなものが書けると面白そうだという話をした。 ただ、なでしこの単純なQuineは Quine Museum にすでに があり、これを物語として読めるものにするのはかなりの技量が求められそうだ。

次回について

次回の課題は「来たるべき読者のための「初めてのSF」」である。

ジャンル小説特有のお約束が通用しない白紙の読者を念頭に置いて、もっとこんな小説を読みたいと思わせるような、入門的で吸引力のある新作SFを書いてほしい

過去の記事でも書いたが、私がSFにハマるきっかけになったのは、大学時代に読んだジョージ・オーウェル1984年』である。 『1984年』のようなものが書けるとは全く思わないが、あの頃に受けた衝撃を思い出して書いてみようと思う。


  1. 私はまだ読んでいないが、 https://togetter.com/li/1256879 で大変な作品であることを知った。

  2. https://github.com/EnJoeToh/

SF創作講座第2回を終えて

一昨日、ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期 の第2回講評会が開催された。 ゲスト講師は、藤井太洋@t_trace と、講談社の河北壮平氏 @so__hei だ。

第2回の課題は「スキットがなきゃ意味がない」である。 これに対し、36編の梗概が提出され、私は『リアル・サイボーグ』というタイトルのものを出した。 この講座では、審査員が提出された梗概の中から3編を選出し、選ばれた受講生は次回までに実作を書くことになっている。今回、私の作品がその内の1編として選出された。

また、第1回課題「AIあるいは仮想通貨を題材に短編を書け」で選出された4編と自主提出5編の実作講評も行われ、10点+未提出者2名分の2点が各作品に割り振られた。 詳細な結果や各作品の内容については、課題ページを参照してほしい。 今回、私は実作を提出していない。

課題について

「スキットがなきゃ意味がない」だけではわかりにくいが、詳細のところに次のように書かれている。

今回のテーマは自由。
ただし、二単位以上の登場人物が最低でも三回以上、魅力的なやり取りをする内容を含んだプロットを提出してください。

つまり、梗概に3回以上の面白い会話を盛り込め、というのが今回の課題である。

さらに、SFにおける会話の役割について、次のような説明がある。

どんな前提だってありうるのがSFですが、それをわずか数行で表現できるのが会話です。

これは、設定を地の文でダラダラと説明するのではなく、「会話」を使って端的に書け、ということである。 講義の中でも、「設定ばかりを書いた梗概が多いので、あえて会話を入れさせることでそうした梗概になるのを防ぐ意図があった」と出題者の藤井太洋氏が述べていた。

作品について

前回記事の最後にも書いたが、今回の課題では、「会話」だけでなく、その発話を行う「キャラクター」も重要だと考えた。 複雑な背景をもつキャラクターを設定しつつ、それをむやみに説明することなく会話で表現する課題と解釈したのだ。 そこで、まずキャラクターをつくり、次にその特徴を表す発言を考えることにした。

私の好きなキャラクターに、『攻殻機動隊』の草薙素子というキャラクターがいる。 特に、神山健治監督によるS.A.C. アニメシリーズの草薙素子が好きだ。 シンプルに、彼女をモデルにした主人公を考えることから始めた。

また、主人公が全身を機械化(義体化)したサイボーグという設定もそのまま拝借した。 ただ、映画やアニメでよく描かれる、「人間と同じ姿をした人間より強いサイボーグ」というものに前々から疑問を持っていたので、「不気味の谷を感じさせる人間より弱いサイボーグ」を設定することにした。 これは、アピール文にも書いている。

さて、彼女を端的に表現する会話とはなんだろう。 彼女の特徴は、機械の身体と、ひたすらに強い性格である。 これを、一言ないし二言で表現せねばならない。

ここで、RebuildというPodcastで聞いたGoogle Duplexの話 1 を思い出す。 Google Duplexは、「○月☓日に△人でどこどこの店を予約」と入力すると、AIが合成音声を使って電話予約するという、Googleが開発中のサービスである。 今年5月に発表されたときのデモが話題になった。 しかし、AIであることを知らせずに電話をかけるのはタチが悪いという批判を受けて、はじめにAIだと名乗るようになったらしい。

電話予約のような決まったやり取りであれば、相手が人間かAIかを判別できなくなってきている。 そして、判別できないと上記のような批判があるので、Google Duplexのように、はっきりとAIであるとわかる仕組みが必要になってくる。 電話であれば最初に名乗るのが自然であるが、名乗る余裕がなかったり毎回名乗っては煩雑だったりする場合は、こちらから問いかけることになるだろう。

この問いは、人間と機械の中間的存在であるサイボーグが、機械ではなく人間であることを明確に示す質問としても使える。 そして、その答え方いかんで、キャラクターの性格を表現することもできそうだ。 そう考えて、〈確認の問い(ベリファイ・クエリ)〉というギミックが生まれた。

あとは、草薙素子が “あなたはロボットですか?” という問いにどう答えるかを考えるだけである。 結果は、提出した梗概に書いたとおりだ。 ただ、出てきたセリフは、おそらく草薙素子なら言わないだろうな、というものになった。 この時点で、主人公は「草薙素子」ではなく、「ケイ」になった。

ここで、問題が生まれる。 〈確認の問い〉のシーンをざっと書くだけで、上限の1200字を超えてしまったのだ。 ここから先は、いかに文字数少なく話をまとめるかという方向へシフトした。 オリジナルの設定であるサイボーグの「弱い身体」と、ケイの持つ「強い心」のコントラストを描く方向で話をまとめた。 その辺りの細かい過程はあまり覚えていない。

講評について

〈確認の問い〉の一連の会話におけるケイの言葉が、キャラクターを端的に表す名台詞だというコメントをいただいた。 これはまさしく狙い通りだったので、素直に嬉しかった。

また、「サイボーグの同級生」という序盤のインパクトもよいとのことだった。 「書き出し」をツイートする @genron_sf_bot を運営していることもあって、冒頭には特に注意を払っているので、この点も嬉しかった。 ただ、「百二十年ぶりの唐揚げだった」という前回の冒頭のほうが、今回よりもうまくいった気がしている。

講評の後半、大森さんにはこの作品の良くないところを的確に指摘された。

まず、「後半の会話が最低」とのことだった。 テーマをセリフで説明してしまっている。 正直なところ、指摘されるまで気づいてなかったのだが、指摘されてすぐに納得してしまった。 前回、描写が課題だと感じて『感情類語辞典』を購入したと書いたが、まだ1文字も読めていない。 次こそは、説明せずに描写できるようにしたい。

また、「SFではないと思ったので丸をつけなかった」とも言われた。 私自身、SFになっていないと思っていたので、ぐうの音も出ない。 特に、作中の「サイボーグ」について詳細を詰められていないのを見抜かれていたように思う。 私の専門はコンピュータ・サイエンスであって、制御工学や神経生理学といった分野やサイバネティクス方面の知識はほとんどない。 そういった詳細を描くことから逃げるように、十代の頃に書いていた青春小説っぽいものへと、いつのまにか方向転換してしまっていた。 この方向で小説を書きたいと考えているわけではないので、今後は科学考証から逃げないようにしたい。

とはいえ、藤井太洋氏の推薦もあり、今回は実作へ進む3編に選ばれることができた。 実作する際は、以上の反省を踏まえて、期待に応えられるものを書き上げたいと思う。

次回について

次回の課題は「生き物を作ってみよう!」である。

せっかくSF書くんだもん、私達の誰も知らない生き物を作ってみませんか?

とのことだ。また、1点だけ条件がつけられている。

ただし。生態だけは、ちゃんと設定してください。

比較的わかりやすい課題だと思う。 今回は「会話」という技術的側面の課題だったが、次回はアイデア勝負の側面が強くなりそうだという印象を受けた。

実のところ、実作を書くので手一杯になりそうで、梗概を提出できるかは分からない。

SF創作講座第1回を終えて

昨日、ゲンロン 大森望 SF創作講座 第3期の第1回講評会が開催された。 第1回の課題は、「AIあるいは仮想通貨を題材に短編を書け」である。 これに対し、43編の梗概が提出され、私は『から揚げと Let It Be』というタイトルのものを出した。 この講座では、審査員が提出された梗概の中から3編(今回は例外的に4編)を選出し、選ばれた受講生は次回までに実作を書くことになっている。 今回、残念ながら私の作品は選出されなかった。

課題について

課題は、AIか仮想通貨のどちらをテーマにしても良いというものであった。

仮想通貨に関しては、以前 Satoshi Nakamoto の論文 を読んだり(きちんと理解できたかは怪しい)、Learn Blockchains by Building One という記事にあるブロックチェーンPython実装をRuby (on Rails)に書き換えたりして勉強したことがある。 ブロックチェーンの仕組みや、それがもたらす社会的インパクトは、SF的にも可能性のあるものだと思っている。 しかし、「仮想通貨」となると、今回あまりいいアイデアが思いつかなかったので諦めた。

さて、問題はAIである。 私は、修士課程の学生の頃に一応AIの研究をしていた。 AIと名のつく国際会議に論文を通したこともある。 おそらく比較的AIに詳しい方だろう。 そうした知見から、AIの何を描くべきだろうか?

今回の課題で求められているのは、「2018年現在」の最先端を踏まえることである。 その点からすると、いわゆる「強いAI」の話は今回の課題に適さないと考えた。 現在のAIブームの発端はディープラーニングであるが、これでつくられたAI(正確にはモデル)は、入出力のフォーマットが明確に決まった「弱いAI」である。 強いAIのような汎用的なものは、決して現在のAIブームの延長にはない。 コンピュータ・サイエンスや近隣の分野で何かしらのパラダイムシフトが起きない限り、強いAIの実現は不可能である。

では、現代的な「弱いAI」の延長にあるものは何か。 私は、「自動化」と「最適化」が鍵になると考えている。 「自動化」は、人間の行っている作業を機械が行うことであり、「最適化」は、簡単にいえば無駄をなくすことである。 「弱い」AIといえど、現代のAIは、囲碁や画像の分類などの特定分野に限れば、人間より高い能力を発揮する。 これは、人間の作業をより無駄のない形でAIに置き換えられることを意味し、実際、多くの企業がこれを目指している。 AIが人間を凌駕する分野が今後次々と増えていく、というのは想像に難くない。

では、そうして何もかもが自動化・最適化されていった先に、私たち人間に残るものはなんだろう? そう考えて、これを今回の課題に対する私自身のテーマとした。 アピール文にも書いたが、この辺りの発想はRebuildというPodcastで聞いた話もきっかけになっている。

作品について

設定

「何もかもが自動化・最適化された未来」というのを端的に表現するため、〈黒魔術〉というギミックを設定した。これは、アピール文に書いたように、アーサー・C・クラークの言葉なんかをヒントにしている。

近い内に、AIは抽象化され、環境に溶け込むだろう。 モノのインターネット(Internet of Things / IoT)の普及は、私たちの身の回りのモノがAIを含む巨大なネットワークシステムに接続されることを意味する。 今のところ、私たちはPCやスマホを通してそのシステムを利用しているが、そんなものを介さなくても、より自然な形でそれらを利用できるようになる。 最近のプロダクトで言えば、Google HomeAmazon Echoが比較的イメージに近い。 文字の入力方法や各種アプリの使い方を知らずとも、自然言語を操るだけで、裏側にある複雑で巨大なシステムを利用できる。

〈黒魔術〉は、そんな高度に抽象化・環境化したAIシステムの総称である。 本当にシンギュラリティなるものが来れば、AIはあっという間にブラックボックス化し(現代でもほぼブラックボックスであるが)、「人間わざとは思えない、不思議なもの」を実現するようになるだろう。 〈黒魔術〉という言葉にはそんなイメージもこめている。 先ほど「自然言語を操る」と書いたが、AIを利用するための音声プロトコルが最適化されて〈呪文〉になるということも考えられる。 「アロホモラ」と唱えて鍵が開く、なんてことは、IoTが普及すれば全く不思議な事ではない。

ストーリー

今回、数年ぶりに物語を書くということで、勉強の意味も兼ねて既存の作品の構成を真似ることにした。 その対象に選んだのは、私の好きな作品、小松左京『神への長い道』である。 『神への長い道』の構成はおおよそ次のようになっている。

  1. 未来のよくわからないシーンから突然始まる(起)
  2. 主人公は、未来に期待して冷凍睡眠に入ったのだった(承)
  3. しかし、期待していた未来との違いに主人公は落胆する(転)
  4. 他者との触れ合いの中で、なんとか希望を見い出す(結)

『から揚げとLet It Be』は、ほぼこのストーリーをなぞった。 ただし、『神への長い道』で主人公が明確に「希望」を見出したのと違い、『から揚げとLet It Be』で主人公が最後に見出したのは、果たして本当に希望と呼べるのか分からないものである。 梗概でもそういう描き方をしたかったが、正直これはあまりうまくいった気がしない。

講評について

私の作品に対する審査員の講評は、全員一致で「オリジナリティがない」というものであった。 実際、ストーリーは模倣であり、「冷凍睡眠」なんかはそのまま借りてきた要素である。 〈黒魔術〉についても、「人間の仕事はすべて機械に置き換えられ、人間は仕事をしなくても良くなった」という点だけ見れば、手あかまみれの設定である。 そういう意味で、的を射た指摘だと感じた。

今回、オリジナリティがあるとすれば〈黒魔術〉のディテールであるが、このイメージを伝えようとすると、設定の説明だけで1200字を軽く超えそうだったので、アピール文に「実作で描写に力を入れます」とだけ書くにとどめた。 しかし、どうやらこれが大失敗だったようだ。 SFの梗概で、コアとなるSF的発想の説明をおろそかにしてはいけない。 「実作で書くつもりです」なんてアピールしても誰も興味を持ってはくれないのである。

かといって、〈黒魔術〉をきちんと説明すれば良いものができたのかというと、あまり自信はない。 講評全体を聞いて感じたのは、直感的・反射的に「面白い」と思えるワンアイデアをもった梗概が評価されるということである。 たしかに、グレッグ・イーガンやケン・リュウなんかの短編は強烈なワンアイデアをベースにしている。 星新一は言うまでもない。 その点、〈黒魔術〉はあまりに複合的で抽象的な感じが否めない。

今回は、他に大きく2つの反省点がある。 まず、第一にキャラクターの造形が雑すぎた。 「音楽に人生をかける男性」「料理が大好きな女性」はあまりにステレオタイプであり、現代どころか昭和のにおいすら漂ってくる。 これらの典型的な設定は、少ない説明でもすっと頭に入るという利点もある。 しかし、私が書こうとしてるのはSFなのだ。 あまりに常識に頼った書き方をしていてはダメだろう。

第二に、「描写」が全くといっていいほどできていない。 ここ数年、レポートや論文、コンピュータプログラムばかりを書いてきたので、小説的な文章表現がすっかり分からなくなってしまった。 講座の受付時に「ゲンロンSF創作講座受講者のための基本的実践的小説作法書リスト」なるものが配られたのだが、さっそくそこにあった『感情類語辞典』を購入した。

最後に、「料理のようなものはそう単純に機械に置き換えられない」という指摘があった気がするが、これにはあまり納得していない。 現代の東京で、毎日自分で作った料理を食べているという人がどれほどいるだろう? コンビニや外食を始め、現代の私たちは「調理」をかなりの割合でアウトソースしている。 そして、コンビニに並んでいるものや、ファストフード店で出されたものがどのように調理されたかにはほとんど関心がない。 それが仮に〈黒魔術〉で作られたものであったところで、誰も気にしないだろう。 また、現代東京に生きる私たちは、食べるものに対して驚くほど潔癖である。 たとえば、飲料水に関して、よほどのことがない限り川や池の水を飲むことはない(まあ東京のものは実際飲めないが)。 仮に飲むとしても、科学的に安全であることが保証されたものくらいだろう。 そして、健康管理の面でも、現代はより潔癖な方へと進んでいる。 もしAIが完璧な栄養バランスの献立を無料で用意してくれるとなれば、それに従うという人は少なくないのではないだろうか。 もちろん、『から揚げとLet It Be』で描いたように、栄養補給以外にも、料理にはその行為を純粋に楽しんだり、食事の際にコミュニケーションをとったりといった機能があることを私は知っている。 しかし、AIによる完璧な食事管理により、食べるものに対して潔癖になっていく未来は、それほど想像しがたいものだろうか?

次回について

次回の課題は「スキットがなきゃ意味がない」である。 これだけではよく分からないが、詳細のところに次のように書かれている。

今回のテーマは自由。
ただし、二単位以上の登場人物が最低でも三回以上、魅力的なやり取りをする内容を含んだプロットを提出してください。

次回のポイントは「キャラクター」と「会話」である。 設定から入ってそこに注力しがちなSF作家が苦手とする領域のように感じる。 かくいう私自身、小説的な「キャラクター」と「会話」は全く分かっていない。 さて、何を書こう。

SF創作講座の課題に取り組む過程をオープンにする

以下の記事に書いたように、今月から私は ゲンロン 大森望 SF創作講座 の受講を開始する。

この講座の特色として、課題に対する提出物はすべてWebで公開されるというものがある。ただ、私は、提出物だけでなく、それを作る過程もオープンにしようと考えている。

なぜやるのか

それは、提出物だけでなく、それを作る過程も含めたフィードバックがほしいからである。

私は、小説とソフトウェアが似ていると考えている。 ソフトウェアがユーザからのフィードバックをもとに改善できるように、作品も読者からのフィードバックをもとに改善できる。 しかし、ソフトウェアを作る技術は、ユーザからのフィードバックでは必ずしも向上しない。 なぜなら、ユーザにはソフトウェアのソースコード開発プロセスは見えず、表面的なフィードバックしかできないからである。 小説も同じように、それを書く技術は、作品に対するフィードバックだけでは必ずしも向上しないのではないだろうか。

もちろん、アマチュア作家が創作過程を公開したところで、それに対してたくさんのフィードバックが得られるとは期待していない。しかし、すべてをオープンにして、フィードバックを受け付ける姿勢があることを示すだけでも価値があると考えている。

どうやるのか

fuji-nakahara/genron-school-sf-2018 というリポジトリGitHubに作成し、ここにSF創作講座の課題に関連するファイル群を公開している。

また、GitHubProjects 機能を使って各課題のタスク管理・進捗管理を行っているため、ここから作品を作る過程を追うことができる。もちろん、リポジトリのコミットログからより詳細な過程を追うこともできる。

フィードバックを送る方法であるが、GitHubで公開されている他のオープンソースソフトウェア同様、IssueやPull Requestを作成する事ができる。しかし、これにはGitHubのアカウントが必要であり、誰でも気軽にフィードバックするというわけにはいかない。そこで、Googleフォームを使って 読者アンケート を作成し、リポジトリのREADMEにこのフォームへのリンクを記載した。もちろん、Twitterやメール等でフィードバックを送っていただいてもかまわない。

もし、私の小説の書き方について何かしらフィードバックをいただけたなら、これ以上にうれしいことはない。